コーチの雑談

サッカーで地域と人を繋げたい

ボールは丸いが、丸くなるのはまだ早い

どうも

 

最近指導しているときだったり会話しているときに、

ちょっと達観しちゃっているなぁと感じる場面が

ちょくちょくあります。

 

原因はよくわかりませんが達観しすぎじゃない?

みたいな事を感じます。

 

 

 

これ良くないなぁと思います。

 

良くも悪くも「伝え手」という立場にいるので

僕自身が何かを悟ったように達観してしまうと

人として丸くなってしまうんですよね。

 

悪いことではないのだけれども

子どもたちには良くないなと。

子どもたちも丸くなってしまうので。

「伝え手」とはそういう立場です。

 

子どもたちには刺激および未来

そして自由を獲得してほしいので、

年上の人たちに

「あいつはまだまだだな」とか

同年代の人たちに

「あいつ何やってんだよ」などと

嘲笑されようとも尖っていきます。

 

丸くなってしまうにはもったいない時期だし

子どもたちには自分の個性を見つけてほしいので

「最高に尖っているやつ代表」

として尖っていきたいですね。

 

何かを悟って見えるものもあるけど

それって後からでも見つかるものな気がします。

 

だったら尖っているときにしか見えないもの

感じれないものを集めて、丸いものが自ら

刺さってくるように生きていたい。

 

そのほうが健康的だし

子どもにも「こんな自由に生きていいんだ」

と提示できる。

 

 

「こうあるべき」とか

「チームなので」とか

たしかに真理だけれども

それを言うのはまだ早い

というかそれを言うほどまだ迷っていない。

たくさん恥はかいてるが

それ以上にいろんなものに手を出していない。

 

いろんなことをして

いろんな人に会って(会ってはいるけど)

その中で迷っていない

失敗していない。

 

失敗しにいくって言いたいわけじゃなくて

成功体験とか本質に近づくためには

誰に笑われてもいいから

ハチャメチャで生きていかなきゃいけない

そこでトライ&エラー重ねないといけない

 

遊ぶとかじゃなくてハチャメチャに生きる。

若い人は背負う物の数が圧倒的に少ないので

そういう時期にハチャメチャに生きていれば

何か形に残せると思うんですよね。

 

守りに入るのは後から好きなだけ出来るので

今は尖っていきます。

 

ボールは丸くて嘘をつきませんけど

そのボールを扱う僕らまで丸くなってしまうのは

いかがなものなのか。

丸と丸がぶつかり合うと

その丸がどこに飛ぶか分からない

ぶれまくるんですよね。

 

考えは変わってもいいけど

根底まで変わっては何がしたいのか

分からない人になる

 

だから尖るんです

 

いろんなものに触れて

もっといろんな人に会って

いろんなことを感じ取る

 

世界を広げるとかじゃなくて

自由を獲得しようよってことです。

 

自由を知り自由に生きていく

そして自由を伝える

自由の本質を探ります。

 

 

 

 

ではでは