フットボールをなめるな
どうも
最近は地域の歴史にハマりすぎたのとフットボールが分からなくなってきたことで泣きそうになっています。
フットボールは面白いですね。
弊クラブも今年クラブユース連盟に申請を出して、申請が通ればいよいよクラブユース大会に参戦ですが、現状としてクラブユースの試合を経験しているのが僕だけなので選手たちはなんのそのって感じで日々過ごしております。
それでいいんじゃないかなと思ってます。
今目の前を大切にするって意味では。
今はリーグ戦の真っ只中なわけですが
(クラブユース連盟に申請しなくてもリーグ戦自体は中体連とクラブチームが合同で行っているので協会登録してると参加できるのです)
3週間前のリーグ戦でしたかね、対戦相手はレベル的にも圧倒できるチームでした。
結果的には点差も離れた形で勝ったわけですが、大事なのは勝った負けたよりもピッチ内での振る舞いなわけです。
先制点が入るまで自分たちのやるべき事のクオリティを下げてしまったんですね。
弊クラブには様々な原則が存在しますが、ここならまだ大丈夫だろう、というような状況によって自分の意識を下げるようなプレーが見られる時間帯があったんです。
フットボールの本質の一部分は、ゴールを奪う、ゴールを守ることだと思っていて、その本質をなめる行為はどのレベル、どの年代でも良くないことだと考えています。
大人が子どもに混ざってプレーするときもそうです。
常にゴールを目指す、常にゴールを守る、それで伝えられることってたくさんあると思っていますが、そういうことをやらない大人がいるのも事実です。
試合途中とハーフタイムに選手には
「フットボールをなめて本質を疎かにするな」
と伝えました。
彼らがどのレベルでフットボールをしたとしても、その本質を切り裂いた行為はしてほしくないし、伝えてほしくないからです。
指導者はそういうことを伝えていかないといけないだろうし、本質を理解した上で選手と接さないといけないと思ってます。
そんなことも理解しようとせず、やれドリブルだパスだシュートだディフェンスだと言ったとしても、一緒にプレーしたとしても、何も伝わらないと思います。
僕は選手達と一緒にプレーするとき、必ずゴールを奪うため、守るためにプレーしています。
それで大人気ないと言われようとも、それがフットボールというゲームの本質なのです。
伝える、感じさせるというのはそういうことなのかな、とも思い始めました。
いつ、どの場所で行おうと、ゴールとボールがある限りはフットボールというゲームなのだから本質は切り裂いてはいけない。
ではでは。